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レジャーとは「勉強する」ことだった!?②
- 2019/12/23
昔の時代はギリシャでも中国でも、働くのは、肉体労働だったので、その余暇には、その逆に頭を動かし、物事を考えたり、勉強したりしたい、という欲求が起こったものと考えられます。
ギリシャ哲学は、アリストテレスのリュケイオン(公園)を散歩しながら語り合うことから起こりました(逍遥学派)。
今日では、頭を使う仕事が多いので、その余暇には、頭を使うのをやめて、身体を思い切り動かしたい、という欲求が起こるのです(仕事していて飽きてきますと、背伸びして、あくびをしたくなるのと同じことです)。
レジャーとしてスポーツが行われるのは、この生命の要求の、おのずからなる現れです。
スポーツという言葉は、前にも記述しましたが、古代フランス語の「ディスポーツ(職場を離れること)に由来しており、19世紀の終りから、肉体労働に代わって、精神労働の時代になり、ディスポーツ(つまり余暇・レジャー)の典型的なものとして、スポーツ(ディスポーツのデイが取れて)が、行われるようになったのです。