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パラダイスに「健康」はない①
- 2020/02/21
今日、都会に代表される現代生活の場は、人で込み合い、交通・通信の発達によって、人間関係がうるさく、自分を保つことが困難になってきました。
また、ベルトコンベアやコンピューターに象徴されるように、ともすれば、絶えず周りから動かされることになります。
しかも、心の通い合いはなく、不安や焦躁は益々募ってくるのです。
仕事をしている時はまだ良いのですが、余暇に一人になりますと、返ってて落ち着きません。
心を通わせる人もなく、テレビやラジオは情報を押し付けるのみで、自ら考え行動する意欲はなくなり、退屈にさいなまれ、不善を成すことになります。
このようにして、退廃・社会悪が必然的に生み出されます。
現代の学校では、人生における努力と忍耐、道徳観の訓練の必要を教えません。
彼らが成長して社会を見ますと、世間と言うものの冷淡さと、生きていくことにに伴う、物質的・精神的な困難が待ち受けていることを知ります。
そうしますと、ある者は、それは社会が悪いからだと短絡的に思い込みます。
また、ある者は、無関心の中へ避難したり、世をすねて新興宗教に身をやつしたり、色々な犯罪行為をしたりします。
多くの青年は、図体は大きいですが、その割には体力がなく、ことに精神力が弱く、神経の抵抗力を欠いています。
現代生活に対して自分を適応させる(我慢する)努力のできない者‥自己との闘争の敗者は、この新しい機械文明の世界で、自分の場所すら獲得できない無能者・落伍者でもあるのです。
我々は、仕事に対しても、心配事や貧乏に対しても、努力や奮闘によって適応していかなければなりません。
人間は、圧政にも、革命にも、戦争にも、変質したり衰滅したりはしないで耐えてきましたが、ただ、む「極度の貧困」と「栄養栄華」には無難に適応することはできません。
極度の貧困は、個人を揉民族をも、必ず弱めます。
また、責任と努力の伴わない繁栄も同じです。
また、当てなしの無為・閑居も同様です。
この続きは、次回掲載します。