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「まめ」ということ
- 2020/03/13
我が国では、昔から健康のことを「まめ」と言っています(「大言海」「広辞苑」など)。
これは、豆がコロコロと転がるように、心と身体へ、身体から心へと、引っ掛からずに動いて行くことを言います。
つまり、心と身体が「1つ」になって転がっていく姿であって、仏教でいう「身心一如」を和らげて、日本語で表したものと思われます(身心一如とは、人の生命の真の姿であり、健康そのものを表現しています。因みに、禅では「身心一如」と、身を上に書きます)。
この「まめ」は、「まめに働く」と言えば、「健康でよく働く」ということのほかに、「骨惜しみない」「忠実に働く」と言う意味を持つています。
「まめ」とは、
①真心があること‥真面目、誠、真実、誠実
②苦労をいとわず、よく勤め、よく働くこと
③身体の健全なこと‥達者、息災(病気でないこと)
と、辞書には書いてあります。
つまり、「まめ」には、身体が丈夫でよく働く、病気でない、ということの他に、心も正しく、真面目で、しっかりしているということを意味しています。
これを封建時代の健康観だ、と言うかも知れませんが、自分のなすべき職務を、心と身体を一つにして、ちゃんと遂行していくこと、これこそが「働かざる者は食うべからず」(この「べからず」は、不可能の意味で、即ち働かなければ生きて行かれない、という現代社会の要請です)。
そして、それが「苦にならず」スムーズに実行できることは、今日の言い方では、機能的、能率的に仕事ができること、と考えれば、この「まめ」なことは、健康の定義としても、理に適っています。
また、まめ(豆)のように、コロコロ転がっていくことは、他の人や物にぶつからないで、社会環境に調和していく様であるとも見られます。
こうなりますと、WHO憲章の健康の定義と、同じことを言っていることにもなります。