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「健康」は口で唱えてもやってこない
- 2020/03/14
前回まで記述しましたように、健康とは「まめに働ける」ことと、考えられるのでありますが、その逆の「まめに働けない」場合とを、併せて考えれば、健康、不健康、さらに病気、ということが。はっきりするでしょう。
「どうも気が進まない」「仕事がおっくうだ」「どうも疲れやすい」「確率が上がらない」「気が散る、集中できない」「周りの人がうるさい」「何だか不安で、落ち着けない」‥自分の仕事をまめにやれるかどうかを考えてみますと、具体的に、最も鋭敏に、健康かどうかの自己判断ができるのです。
何もしないでいて、何ともなくとも、あるいは、遊んでいる時には快適であっても、成すべきことが、成すべきことができないのでは、健康ではないのです。
また、いつもイライラしたり、何か不安があるとか、身体の調子が悪い、と言うのは、不健康と言うよりは、実は「病気」なのです。
「病気」とは、「病む気」といい、気分が悪いということです。
英語では「ディス・イーズ」(気分がイージーでない)とか、「ディス・オーダー」(調子が悪い)と言い、何か不安があったり、調子が良くないことを意味しています。
つまり、「気分が悪い」ということで、どこかということは分かりませんが、漫然とした不快感を自覚することです(ドイツ語では、「不定愁訴」と言います)。
このような「病気」(不安や調子が悪い)になりますと、自分でしようと思うことが、どうもうまくできず、仕事も、正常な場合や、健康人のようには、能率的にはできなくなります。
それが、酷くなりますと、仕事はできなくなり、休まなければならなくなります。
こんなことから、病気とは生活を脅かし、生活を妨げるいやなもの、ということになります。
それも、しばらく休んで回復するのなら、まだ良いとして、「治りにくい病気(生活習慣病)」の始まりであることもあります。
そうなりますと、生活の困窮、さらには、死の影が付きまといます。
それで、病気のことは、考えるのも嫌だという人も少なくありません。
「病気でないのが健康だ」と言うわけで、「健康」に飛びつき、健康食品、健康法に飛びつくことにもなります。
今日の健康ブームは、生に執着するあまり、病気の亡霊におびえ、前後見境もなく、「溺れる者がワラをにすがる」ようなものではないでしょうか。
こうなりますと、「健康・健康」と言っても、「鰯の頭の信心」になり、単なる「お題目」になってしまいかねません。
平和を唱えても、平和はやってきません、と同様に、健康・健康と唱えても、健康にはなれっこないわけです。